600年頃に造られた古墳の石室
風土記の丘の前方後円墳群が6世紀中頃で途絶えた後に、宇佐盆地を臨む台地上に造られた豪族の墓です。宇佐神宮の前史を物語る古墳として注目.されます。石室を覆う盛り土や横穴式石室入り口の羨道と呼ばれる部分の石積みは消失して、遺体を安置する玄室と呼ばれる石室部分のみ残されています。 放生会に関係づけて、この古墳は隼人の首を埋めた塚で、それを祭ったのが百体社とする伝承がありますが、隼人の乱は720年頃のことで、古墳築造と100年以上も開きがあります。