宇佐神宮には天皇即位や国家異変の際に勅使(ちょくし―天皇の使い)が派遣されました。都から通じる官道を進んだ一行は、宇佐川の岸辺にあった宇佐駅で支度を整え、宇佐宮の正面玄関である呉橋(朱色の屋根付橋)へと向かいました。駅の館が建っていたことから宇佐川は駅館川と呼ばれるようになり、呉橋へ通じる道は勅使街道と呼ばれました。今も10年ごとに勅使が派遣されています。
弓削道鏡が天皇になろうとした時、八幡神の託宣を受けるため天皇の使いとして派遣された和気清麻呂もこの道を通ったはずです。
大正時代頃までは国道として利用されていましたが、車社会の到来とともに、国道10号は現在の路線に変更され、表参道も新しく造られたため、勅使街道は西参道と呼ばれるようになりました。